相手の痛みを感じる「想像力」を持ちましょう
平成26年度地方農政局職員行政実務研修
国家公民合同庁舎A棟



 こんにちは。
 ただいまご紹介いただきました中川です。よろしくお願いします。この数日の暑さは異常と言っていいほど暑いですね。暑い中ですが、人権問題についてこれから一緒に考えていきたいと思います。
 とてもショッキングな事件が起きましたね。今月(平成26年7月)26日、佐世保市の高校生が同級生を殺害するという事件です。皆さんの記憶にも新しいと思いますが、佐世保市では小学生による殺人事件が10年前、平成16年6月に起きています。長崎県では、あの事件以来、子どもたちが「命の大切さ」を実感する命の教育が推し進められています。ここに来る途中、カーラジオで、長崎県では臨時の教育委員会が開かれ、これまで進めてきた命の教育がなぜ子どもたちの心に届かなかったのかとの意見が相次いだと報道していました。
 命を守る、命の安全を保障する、これは人権の中でももっとも重要なことです。だからこそ、いじめによる自殺や佐世保での事件などから命の教育を長崎県はもとより日本のどこの学校でも実施されているのです。それも単なる座学ばかりではなく、体験活動を元にした命の教育を。このような体験活動を元にした命の教育を推し進めるためには、植物を栽培したり、動物を飼育したりして、命に触れることが一番です。
 私は農家の長男です。丁度この時期、中学生の頃、田んぼに入ってガンヅメを押していました。ガンズメとは昔の田んぼの除草器具です。夏の暑いときの田んぼの水は水ではありません。やけどしはしないかと思うような熱さのお湯です。そのお湯の中に入ってガンヅメを押して除草していました。10cmくらいの苗を植え付けてわずか2ヶ月程度で30cmくらいまでに、青々と成長した稲の生命力に感動していました。それこそ命に触れていました。秋に、家族で汗水垂らして育てた稲を収穫するときの喜びは言葉では言い表せません。
 また、私の家では搾乳牛を飼って、子牛も産ませていました。あるとき、真夜中でした。母牛がうまくお産できなくて、子牛の前足が2本出ている状態で牛小屋を歩き回っています。そのままにしておくと、子牛も母牛も危険です。真夜中にもかかわらず獣医さんを呼んできました。獣医さんは、子牛の足をロープで縛ると、「私の合図でロープを引っ張ってください」と言いました。強く引っ張ってはならない、合図に合わせてゆっくり引っ張るようにと言います。獣医さんは母牛を座らせて、「頑張れ」と母牛を励ますように声をかけ、腹をさすり、引く合図を送ります。その合図に合わせてロープを引っ張り、子牛を出産させました。母牛は子牛が生まれたことが気配で分かるんですね。すぐに立ち上がり、生まれたばかりの子牛を大きな舌でなめます。生まれたばかりの子牛は羊水で体全体が濡れています。所々、血も付いています。それをきれいになめあげます。牛の生命力はすごいものです。しばらくすると、生まれたばかりの子牛が自力でよろよろと立ち上がります。親牛が子牛から目を離した隙に、子牛小屋に移します。親牛とは柵で離しただけの所ですので、親子は、互いを確認できます。別の小屋に入れておくのは、子牛が母牛の乳を飲んだ後は、乳の搾りが難しくなるからです。搾った乳をバケツに入れ、そこに父が手を入れ、指を2本出してそれを子牛に吸わせます。乳は指の間から吸われるのです。それを私はよく手伝っていました。このようにして育てていると、子牛の成長がよく分かります。朝起きて、一番に牛小屋に行き、子牛の元気を確かめていました。学校から帰ってもすぐに行くところは牛小屋です。牛は家族の一員でした。このように普段の生活の中で、生命に接していました。私は命の教育は体験を通して行うことが一番だと思います。動物の飼育でもいいい、草花や農作物の栽培でもいい、命に触れて命の尊さを子どもに教えたいと思います。
 今、学校は地域の人と協働した教育活動を展開しています。現在、私はそのような地域住民と協働した教育を進めていきましょうと地域の方や学校の先生方に説いています。皆さんは農林漁業関係の仕事をしていらっしゃいます。どうぞ、皆さんがお持ちの知識や技能で学校教育のお手伝いをしてください。
 少し前置きが長くなりました。人権問題について考えていきたいと思います。人権についていろんな角度からとらえていろんな定義がなされています。
 その一つに、人権とは、「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」があります。人権の最たるものは「生命と自由、そして誰もが幸せに生きる」ことです。佐世保の高校生はこのもっとも基本的なことを奪ってしまったのです。人を殺めることは人権侵害の最たるものです。
 二つは、「人間が人間らしく生きる権利で、生まれながらに持っている権利」です。このことは日本国憲法第11条にに明文化されています。
 三つは、「だれにとっても身近で大切なもの」です。人権を遠い世界のことのように考えている人がいましたが、人権とは私たちにとって一番身近なものです。
 四つは、「日常の思いやりの心によって守られるもの」です。このことについては、孔子が論語で次のように言っています。
 衛霊公第十五24
   子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。

   子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
 意味は、
子貢がおたずねしていった、
 「先生からお教えいただく一語を心にとめ生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。」
先生はいわれた、
「その言葉は恕だね。そして自分の望まないことは人にしないことだ。」
 「恕」とは、やさしさ、おもいやりのことです。私たちは恕の心を持って生きていきたいものです。
 法務省のホームページには様々な人権課題が示してあります。それは、女性問題、子どもに関する問題、子どもの問題で多いのが虐待です。高齢者問題、障害者問題、同和問題、アイヌの人々の問題、外国人問題、HV感染者・ハンセン病患者等に関する問題、刑を終えて出所した人にお関する問題、犯罪被害者等に関する問題、インターネットによる人権侵害、ホームレスに関する問題、性的指向の問題、性同一性障害者問題、北朝鮮当局によって拉致された被害者等に関する問題、その他人身取引に関する問題が挙げてあります。
 熊本県ではこの中でも、「同和問題」、「ハンセン病問題」、「水俣病問題」を緊急に解決しなければならない人権課題として教育・啓発に力を入れています。
 そこに示していますのは、熊本の地方紙、熊本日日新聞の昨年3月25日夕刊「電話で話そう」に、記載された記事です。


               差別根強い熊本 今も変わらず残念(熊日夕刊 平成25年3月29日 電話で話そう)

 私は四国の出身で、熊本に来て40年以上になりますが、同和問題やハンセン病問題など根強い差別体質が気になります。
 実は小学4年生の孫娘が先日、同級生から「あそこから先は同和地区だから行かない方がいい。付き合わない方がいい」と言われたというんです。熊本に来たころも差別が多いのに驚かされましたが、あまり変わっていないようです。いまだにハンセン病のことを何かと言う人もいますしね。
 私が育った県にもハンセン病療養所がありましたが、中学生のころにはもうそんな差別の話は聞きませんでした。私は菊池恵楓園に出入りして菊の育て方を習ったりもしました。
 少しずつでもいい方向にいってほしいと思います。

 熊本県では、同和問題、ハンセン病問題、水俣病問題を3大人権課題として教育・啓発しているにもかかわらず、「あそこから先は同和地区だから行かない方がいい。付き合わない方がいい」と言われたというのです。子どもが言ったということは家族内でそんな話が出ていることです。もっともっと人々の心に届く人権教育・啓発活動をしていかねばならないと思います。
 私は、人権問題を考えるとき、同和問題を重要な柱としてとらえ、水俣病に関する人権問題、ハンセン病回復者の人権問題などさまざまな人権課題について考えることが大切だと思っています。
そこで本日は同和問題を中心に人権課題を見つめていきたいと思いますが、ハンセン病問題と水俣病問題について少し触れておきます。
 電話で話そうに「恵楓園」とありますが、これは熊本県合志市にあるハンセン病療養所です。皆さんご存じの通り、ハンセン病は、今の栄養状態では、まず感染することはないと言われています。
明治時代、政府はハンセン病患者を一般社会から隔離する政策をとりました。患者を療養所に強制隔離したり、患者の家を消毒したりすることで、「ハンセン病は感染しやすい怖い病気」という誤った考えが広まりました。プロミンという治療薬が使用されるようになるまでは、発病すると病気が進行することが多く、不治の病と考えられていたことや、発病が一定の家族内に多く現れることから遺伝する病気と考えられていたことなどが人々の心の中にしみ込んでいたのです。
 熊本県ではハンセン病について正しい知識がなかったために、ハンセン病に関した差別事件が起きました。一つは、昭和28年、ハンセン病患者を親に持つ子どもが黒髪小学校に入学するのをPTAが拒否した事件です。保護者は、ハンセン病患者を親に持つ子どもと机を並べて勉強するなら我が子にハンセン病が移るかも知れない、そんなことは絶対避けねばならないとの思いからの入学拒否事件です。ハンセン病を正しく理解していたなら、こんな差別事件は起こらなかったはずです。教育委員会や熊大医学部、大学関係者がハンセン病についての正しい知識を説いて、解決しました。もう一つは、平成15年阿蘇黒川温泉にあるホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否した事件です。先ほどから言っていますように熊本県では、ハンセン病に関する教育・啓発を進めている中で起きた事件です。県民の心に届く教育啓発の必要性を認識したところです。
 水俣病問題も同じようなことがあります。皆さんご存じの通り、水俣病は公害病ですよね。窒素水俣工場からの廃液に含まれた有機水銀を摂取した魚介類を日常的に食べたことが原因となって発生した中毒症です。公害病です。しかし、昭和30年代、発病した人や家族は何が原因で病気になったかが分からず、地域住民から大変な差別扱いを受けました。家に向かって石を投げつけられたり、就職や結婚の際に差別を受けました。公害と分かってからもこのようなことが続き、水俣病に関する教育・啓発を続けてきました。そんな中に、4年ほど前、サッカーの試合中に、「水俣病、触るな」との中学生の差別発言がありました。試合の接触プレー中に、一人の生徒が発言したのです。これを機に、水俣病に関する表面的な知識を教えるのではなく水俣病を正しく理解する教育・啓発が続けられています。
 2つの人権問題に共通することは、正しく理解していなかったがために起きた差別です。正しく理解することの大切さを私たちに教えてくれました。
 それでは同和問題について考えてみたいと思います。
 「あの人は同和地区出身だから…。」などと言われて結婚を妨げられたり、差別発言、差別落書きがされるなどの差別事件が依然として存在しています。
 同和問題については、昭和40年に出された同和対策審議会答申で次のように述べてあります。
 「同和問題は人類普遍の原理である人間の自由と平等に関する問題であり、日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる課題である。」、「同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。」と。

 また、法務省のホームページには、「同和問題は、日本社会の歴史的過程で形づくられた身分差別により、日本国民の一部の人々が、長い間、経済的、社会的、文化的に低い状態に置かれることを強いられ、今なお、日常生活の上で様々な差別を受けるなど、我が国固有の人権問題です。この問題の解決を図るため、国は、地方公共団体と共に、昭和44年以来33年間、特別措置法に基づき、地域改善対策を行ってきました。その結果、同和地区の劣悪な環境に対する物的な基盤整備は着実に成果を上げ、一般地区との格差は大きく改善されました。しかしながら、結婚における差別、差別発言、差別落書き等の事案は依然として存在しています。国は、同和問題の解決に向けた取組を積極的に推進しており、法務省の人権擁護機関も、問題の解決を目指して、啓発活動や相談、調査救済活動に取り組んでいます。」とあります。
 特別措置法とは、昭和44年に10年間の時限立法として「同和対策事業特別措置法」が施行されました。そして3年間の延長がありました。その後、昭和57年に「地域改善対策事業特別措置法」が施行されました。そして昭和62年に「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が施行され、平成14年に同和対策事業は終わりました。その後は、特別法から一般法で同和対策事業を行うこととなって、自治体では地域の実情に応じて同和対策事業が行われています。同和問題の課題とはどういうことかについては内閣府が平成24年8月調査した「人権擁護に関する世論調査」によりますと、次のような課題が挙げられます。


     同和問題に関し、 現在、 どのような人権問題が起きていると思いますか?(複数回答)

結婚問題で周囲の反対を受けること【37.3%】
差別的な言動をされること【24.9%】
身元調査をされること【27.8%】
就職・職場で不利な扱いを受けること【23.2%】
インターネットを利用して差別的な情報が掲載されること【15.0%】
差別的な落書きをされること【7.6%】
特にない・わからない【30.6%】
                                    内閣府「人権擁護に関する世論調査」( 平成24年8月調査)から

 これらの結果から同和問題での人権課題を結婚差別や就職差別を挙げている人が多くいるということがわかります。
 結婚問題について、もう少し詳しく見てみます。熊本県が平成16年に実施した調査では、結婚差別に関する実態は次のようになっています。


問 子どもが同和地区の人と結婚するときどうしますか。(保護者に対して)

   子どもの意思を尊重する【63%】
   親として反対するが、子どもの意志が強ければ仕方がない【30%】
   家族や親戚の反対があれば結婚を認めない【4%】
   絶対に結婚を認めない【3%】

問 同和地区の人と結婚するとき周囲の反対があればどうしますか。(本人に対して)
   自分の意志を貫いて結婚する【27%】
   親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する【54%】
   家族や親戚の反対があれば結婚しない【15%】
   絶対に結婚しない【4%】


 保護者に対して、「子どもが同和地区の人と結婚するときどうしますか?」の問に対して、「子どもの意思を尊重する」と答えた人が63%です。この数字は、これまでの人権同和教育の成果だと思います。「親として反対するが、子どもの意志が強ければ仕方がない」と答えた30%の人が子どもの意思を尊重すると考えが変わるようさらなる啓発を続けていかねばならないと思います。問題は、「家族や親戚の反対があれば結婚を認めない」と答えた人が4%、「絶対に結婚を認めない」が3%いることです。熊本県では、7%の人が同和問題を正しく理解していないことを厳しく受け止め、同和問題を県民が正しく理解する教育啓発を続けています。
 本人に対しての問です。「同和地区の人と結婚するとき周囲の反対があればどうしますか?」について、自分の意志を貫いて結婚すると答えた人が27%います。そして、親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚するが54%、つまり80%強の人が結婚すると答えています。これもこれまでの教育・啓発の成果です。課題は、家族や親戚の反対があれば結婚しないと答えた人が15%、絶対に結婚しないが4%。反対があれば結婚しないと答えた人が20%弱いることです。まだまだ同和問題に対しての理解が十分ではないと言うことです。学校や公民館などでは、参加型研修など工夫を凝らした教育啓発が続けられています。
 内閣府の調査では、身元調査や就職で不利な扱いを受けることが課題として挙げた人がたくさんいました。身元調査や就職差別に関することで、「部落地名総監」という言葉を聞かれたと思います。部落地名総監について、資料の熊本県人県同和政策課編人権研修テキストには次のように記してあります。


                   部落地名総監

 昭和50年(1975)年ごろから、全国の同和地区の所在地や世帯数、主な職業などが記載された「部落地名総鑑」や「部落リスト」などの図書が、全国の企業などの人事担当者に、極秘で売り込まれていることが発覚しました。購入した企業などが、採用選考の際などに同和地区出身者であるかどうかを判断するための資料とし、結婚の際の身元調査にも利用されていました。 これらの図書は、同和地区の人々の就職の機会均等や婚姻の自由など、憲法で保障されている基本的人権の侵害につながっていくという大きな問題があるため、すぐに回収され処分されましたが、平成17(2005)年から平成18(2006)年にかけて、新たな部落地名総監が発見され、電子版の存在も判明しています。

 部落地名総監などの図書は、同和地区の人々の就職の機会均等や婚姻の自由など、憲法で保障されている基本的人権の侵害につながっていく大きな問題です。このような問題が起きないための取組みがなされました。そのいくつかを挙げますと、100人以上の従業員がいる事業所に「企業内同和問題研修推進員」の設置が求められました。職業安定法が改正されて、採用にあたって差別につながる情報を収集することが禁止されました。そして「身元調査お断り」運動などが活発になりました。
 最近は、都市開発、マンション建築などに際して、特定の地域に対する差別調査が行われたり、不動産売買において同和地区の物件が避けられたりする同和地区を忌避する状況が報告されています。
 大阪府の調査によりますと、「取引物件が同和地区であるかどうかの質問を受けた経験があるか」の問に、37.8%があると回答しています(2009年)。「取引物件が同和地区または同じ小学校区であるため取引不調になった経験があるか」の問には、20.5%があると回答しています。
「取引物件が同和地区であるために価格に影響した経験があるか」の問には、34.3%があると回答しています。この他にも、個人や企業などが自治体に対して同和地区の有無や所在地について問い合わせるような事例もあります。
 このようなことは、同和問題についての正しい理解ができていないから起こる差別事件です。同和問題の解決に向けて、差別意識を解消するには同和問題について正しく理解することです。同和問題について正しく理解するには様々な同和問題について正しく学ぶことが大切です。ここでは、同和地区は、いつごろ、どのようなねらいで作られたかを考えてみたいと思います。
 資料 熊本県人権同和政策課が作成しました人権研修テキストを御覧ください。
 部落差別の起源については、封建社会が確立されていく過程の中で、幕藩体制の強化・維持を目的として、当時の社会の中にあった偏見を利用して、政治的・人為的につくられた身分制度に由来しているといわれています。したがって、例えば、人種や民族が違う、特定の宗教に属していたといった説は誤りです。また、近年の研究によると、地域によって歴史的な成立過程にも多様性のあることがわかってきています。
 部落差別がいかなる背景と経緯のなかで形成されたものであるとしても、人種や民族、宗教や職業などによって差別するのは誤った考え方であり、現在の差別を合理化したり、容認したりする根拠にはなりません。
 大切なことは、部落差別の歴史的な背景や、その経緯を学習することで、差別の誤りに気づき、解決につなげていくことです。
 日本史上の古代以降、社会的に差別された人々がいましたが、その法制上の身分は平安時代に消滅し、中世においては法律や制度として公的に固定されたものではありませんでした。しかし、この時代には、人の死や血などは「穢(けがれ)」であるとする考え方が広まりました。これは科学的・合理的に判断すれば、全く根拠のない誤った考え方ですが、この考え方から死や血などに触れると、触れた人も穢れるという考え方が形づくられ、やがて人や動物の死や血に触れる仕事に従事する人々は、その穢が感染し、穢れた存在であるという誤った考え方が社会の中に広まっていきました。この考え方が、特定の仕事や役割を担った人々に対する偏見を形づくり、社会的に差別された身分を生み出すことにもつながりました。ただし、この時代における人々の身分は、世襲的ではなく、個々人としては交代することがあるなど流動的で、かつ移動の自由や職業の自由が奪われていたものでもありませんでした。また、戦国時代になると、室町幕府の支配力は失われ、各地で戦乱や一揆が相次ぎ、それまでの支配構造が大きく揺らぐようになりました。そこで、豊臣政権は、より強固な支配体制を築くために検地や刀狩りを全国にわたって行い、武士と農民の違いをはっきりさせ、さらに1591年に身分統制令を出して公的に固定された身分制度の基礎を固めました。

 その後、江戸時代になり、徳川幕府によって、固定された身分制度が確立・強化されていきました。全人口の7%程度にすぎない武士階級による幕藩体制を確かなものとするためには、身分制度の強化によって、多くの民衆を分裂させ支配する必要があったのです。
 そのために当時の社会は、様々な身分の人々によって構成されていました。その身分は自由に変えることはできず、それぞれの身分の中でも、上下の関係がさらに細かく分けられていました。その中には、当時の社会にあった偏見や、穢れ意識等の人々の誤った意識を利用し、武士や百姓、町人とは区別され、被差別身分とされた人々もいました。この身分の人々には、雑役的労働者、雑芸能者、戦国期に敗北して社会的脱落者となった浪人、あるいは土地を失った農民、没落した町人など、様々な階層の一部の人々が強制的に組み入れられたと考えられています。これらの人々は、幕府によって、住む場所を生活環境条件の悪い場所に限定されたり、服装やほかの身分の人々との交際を制限されたりするなど差別的な扱いをされました。しかし、厳しく差別されながらも、農業を営んで年貢を納めたり、すぐれた技術を使って人々の生活に必要な用具をつくったり、治安を担ったりして、社会を支えました。また、古くから伝わる芸能をさかんにし、後の文化にも大きな影響をあたえました。しかし、民衆の生活が苦しくなり、幕藩体制に対する不満や不安が大きくなればなるほど、これらの人々に対する差別が強められていったという経緯もあります。例えば、警備や刑の執行にかかわる役割は、一揆の探索や鎮圧に利用され、民衆の反感の対象となるように仕組まれました。
 このように、現在同和地区と呼ばれる地域の多くは、近世初期の封建社会が確立されていく過程で成立したといわれており、そこで生活する人々は約300年という長い間、差別されながら生活することを強いられてきたのです。
 古くから伝わる芸能をさかんにし、後の文化にも大きな影響をあたえましたとありますように、中世には、千秋万歳、曲舞や猿楽などと呼ばれる、歌や踊りなどの遊芸、芸能などが発達しました。また、庭園造りなど、現在につながる様々な文化も発達しました。これらを支えたのは農業以外で生活をしていた人たちで、封建社会体制の支配に属さないため差別されていました。しかし、この人たちの中には、農民の間に生まれた田楽や猿楽を世界最古の舞台芸術である能楽として大成した観阿弥・世阿弥父子、庭師として銀閣寺や相国寺、興福寺の庭を手がけたとされる善阿弥父子など、現在まで残る文化を形成した人たちが数多くいます。このように、当時差別された人たちが今日の伝統芸能や文化に果たした役割は大きいものがあるのです。
 私たちはこれらを正しく理解し、同和問題についての正しい認識を持つことが大切です。このことが人権問題解決になるのです。
 また、日常生活の中にある差別につながる意識や態度を見直すことが大切です。
 次の文、「それってホント?」を読んで、自分の心の中を見つめ直してみましょう。
 心の中に、「固定的な見方」や「決めつけ」はありませんか?
 「固定的な見方」や「決めつけ」はどうして良くないのでしょうか?


                          それってホント?

イヌ:やあネコさん、お久しぶり。
ネコ:(少し元気がない様子)
イヌ:ネコさん、なんか元気がないみたいだけど、どうしたの?
ネコ:イヌさんはいいよねー。3日飼ったら主人のことを忘れないほど恩深くて、芸も覚えて賢いってみんなから言われてるもんね。   それに比べてネコなんか、気まぐれで飼い主のことを裏切るとか、見かけは穏やかでも内心は違うと思われたり、あげくのは   ては死んだらばけて出るなんて思われたりして、いいことなんて全然ないもんね。
イヌ:確かにそんなことを言われることもあるけど、全部のイヌがそうだとは思わないよ。それよりネコさんは、高いところから落ち   ても足から落ちてけがしないんでしょ。
ネコ:そんなふうに思われているところもあるけど、でもそれで高いところから落とされてひどい目に遭った友だちもいるんだよ。
イヌ:イヌだ、ネコだということで、みんな一緒に見られてしまっているところがあるよね。
ネコ:ほんと、ほんと。全く迷惑な話だよ。みんな一緒に見るんじゃなくて、もっと、一匹一匹のことをちゃんと見て欲しいよね。
イヌ:同感だね。ところで、ネコさんの血液型は何型?
ネコ:そんなこと、見たら分かるでしょ
イヌ:どれどれ、分かった、B型でしょ。
ネコ:ちがう、ちがう。まじめで、慎重に行動するA型よ。
イヌ:えー。ネコさんがA型? マイペースで計画性がないB型かと思ったよ。
ネコ:そりゃーひどいね。そういうイヌさんは何型?
イヌ:見たら分かるでしょ。
ネコ:うーん。分かった。O型でしょ。
イヌ:ちがう、ちがう。器用で多趣味なAB型よ。
ネコ:うそー。細かいことを気にせず、負けず嫌いなイヌさんは、てっきりO型かと思ったよ。
イヌ:なんか笑っちゃうよね。やれA型だの、B型だのと血液型でみんな同じ性格みたいに見られるところがあるけど、他にもそん   なことってあるのかなあ。
イヌ、ネコ:どうですか?皆さんには、私たちと同じような経験はありませんか?

 私たちは、あらゆるものの情報を五感で感じ取って脳に取り込み、それを過去の記憶や体験を通じて勝手に自分に都合よく、鵜呑みにし、偏った見方をしていることはないでしょうか。
 「無知は偏見を生み、偏見は差別を生む」とも言われています。先入観や思い込みによって、人をひとくくりに判断するのではなく、その「人」自身を理解し、認め合う事が大切です。
 意識から差別・行動へ向かう心の仕組みは、次のように考えられています。
 思い込みが固定観念となり、これにマイナスイメージが加わると偏見となります。この偏見が時として差別心を生むのです。また、ある物事に対して知らないと、間違った情報であってもそれを信じて間違った理解をしてしまいます。それにマイナスイメージが加わって偏見が生まれます。
 ですから、正しく学び、正しく理解することが大切なのです。その正しい理解の上で、相手の立場に立って判断し、人権を守る行動へつなげていきましょう。
 おわりに 桑原律さんの「人権感覚って何ですか」を一緒に読み、終わりにします。桑原さんは、「人権感覚とは、具体的な場面に遭遇したとき、とっさに迷うことなく人間として当然あるべきあり方を行動として示すことのできる感性を指しています。それは、そうせずにはいられない直感的情動に基づく行動であり、正義感と言っても理屈の上ではなく、ごく自然に湧き上がってくる感性の行動化にほかなりません。」と言っています。
 では、「人権感覚って何ですか?」を一緒に読みましょう。


         人権感覚」って何ですか   桑原 律

「人権感覚」って何ですか  それはケガをして  苦しんでいる人があれば
そのまますどおりしないで  「だいじょうぶですか」と  助け励ます心のこと

「人権感覚」って何ですか  それは悲しみに  うち沈んでいる人があれば
見て見ぬふりをしないで  「いっしょに考えましょう」と  共に語らう心のこと

「人権感覚」って何ですか  それは偏見と差別に  思い悩んでいる人があれば
わが事のように感じて  「そんなことは許せない」と  自ら進んで行動すること

「人権感覚」って何ですか  それはすどおりしない心  見て見ぬふりをしない心
他者の苦悩をわが苦悩として  人権尊重のために行動する心のこと

                     (ヒューマンシンフォニー 光は風の中により)

 人権尊重の視点から、農林水産行政を推進されますことを祈念申し上げて終わりとします。  
 ご静聴ありがとうございました。